愛の話をしたいだけ

同人出身オタクがヘタミュを皮切りにうっかりSEVENTEENの沼にハマり、推しを見つけるまでに苦しんだりその他推しへの宗教観念について考える羽目になった雑記とその他日記、人生の話。

円神初舞台nonagonを見て思い返した過去のこと


円神 Debut Stage 『nonagon(ノナゴン)~始まりの音~』を観劇して、過去に推しになってきた者たちと、コロナ禍で生きるアイドルという存在について考えてツイッターで壁打ちしていたスレッドをまとめました。

ふせったーに入れていたものも入っていますので一応注意。enjin-official.jp

 

2020年12月4日

ヘタミュをずっと引きずってるオタクだから、円神の舞台の雰囲気とか人数がちょっぴりヘタミュに似てて、こうして実際にお芝居を生で見るという経験が難しくなってる今、ものすごくものすごく久しぶりにお芝居を見ることができてもう見ることは叶わないのかな…?と思ってたあの舞台の感覚を思い出して、色々今までのこととか全部思い出しちゃって、もちろんプデュのことも、全部、なんか、なんかもういろんな感情で泣いてしまった……

夜のテンション(もう朝)でいろんなこと思い出してたんだけど、最初に断っておくと、これはヘタミュで3次ジャンルの沼に入ったオタクのめちゃくちゃ個人的な感想で、完全な円神nonagon舞台のレポではないです。

だけど、とにかく、とにかく舞台やお芝居を見るということや、それに付随する独特な感動を呼び覚まされた夜だったということだけは残しておきたいと強く思ったので、ここに書き綴ることにしました

過去の自分の推しになってきた大切な人たちのことを思い出していた。

 

ヘタミュのこと

初めてヘタミュを見に行った日、それまでお芝居どころかコンサートをはじめとした舞台みたいな現場にほとんど行ったことがなくて、あってもRADWIMPSの青とメメメの野外と実況生中継ライブの2回だけで、その時はもちろん初めて洋次郎達の姿を見れた事に感動したけど、あくまで目的は音楽を楽しむことであって、出演者を見るという目的で足を運ぶことや、お芝居やミュージカルというものに全く触れたことがなかった。

正直そんな体験が未知数すぎて、元々持っていたミュージカルの勝手なイメージから、

「突然歌って踊るって…ミュージカルってどうなんだろう…」とか

「笑っちゃったらどうしよう」

とか思ったりしてたんだけど、幕が上がった瞬間のあの“居る”という感覚だけは未だに忘れられずに覚えている。

逆光で顔が見えないながらも、ズラっと並んだシルエットだけでも感じる圧倒的な国々の畏怖、畏敬。存在感。

あの一瞬で惹きつけられた感覚や、今まで現実に存在しているはずのなかった大好きなキャラクターが同じ世界に確かに存在している、ということが衝撃的すぎて頭を雷で撃たれた感覚だった。

それからその感覚を何度も味わうために同じ公演に通ったりDVD見返したりしていた。

ヘタミュは本当にアドリブが面白くて最高なんだけど、それはキャスト同士の個性のバランスや舞台裏での仲の良さが織りなすものであって、気づいたらキャラとしてしか見ていなかったキャストさん達の個の部分を含めて見るようになっていて、お芝居や人間のもつ魅力にどんどん引き込まれていた。

 

その後、ヘタミュシリーズの舞台が終わり、現場に通える機会を無くしてしまった私はヘタミュキャストの出る他の舞台を見に行ったり、別作品のDVDを見て食い繋いでいた。

他の作品を見ていると、キャストさんもその時々のカンパニーごとにその人自身の雰囲気も変わるんだなと感じた。

そしてやっぱりヘタミュにいるときのキャストさんはみんなリラックスしてるのが伝わってくるというか、(あくまで私のヘタミュ色眼鏡なんだけど)そういうのからヘタミュを贔屓目で見てしまう自分がいて、そこでずっとヘタミュというものに囚われていた気がする。

その時点でキャラというよりかはもうキャストさんの個や人間の部分に引き込まれていた。

 

せぶちのこと

ヘタミュが終わったその後の間は、何か満たされないものを誤魔化すようになんとなく生きていたんだけど、たまたま実家に帰った時になんとなく眺めていたM-ONでせぶちのMVが流れて、その時目に入ったハニちゃんが、ヘタミュのイギリス役の廣瀬大介に似ているなぁと思ったことがまた私の人生を動かすきっかけとなった。

なんとなくその時に軽率にせぶちについて調べてから、気づいたらあれよあれよという間にせぶちの沼に転がり落ちてた。

ドンピシャに自分に刺さる音楽と、個性豊かなアニメキャラのようなメンバーの存在がマッチする体験が本当に衝撃的だった。

そこから日プを見るに至ったのも、せぶち垢でプデュの話題がちらほら流れてきたり、課題曲にせぶちがあったり、せぶちにハマってから韓国語を勉強するのにめちゃくちゃお世話になってたヒョクくんが練習生として出演することになったからだ。

それも本当に本当に軽い気持ちで見始めただけだった。(人生どこに沼のトラップがあるか分かりゃしねぇ)

geminimirror.hatenablog.com

↑ヒョクくんときっかけの話は上記記事から

 

日プの推し、福地正

そして日プ、見事なまでに私の推し達が脱落した。

101人という日プの世界だけが今も私の最推しの世界であることには変わりないんだけれど、最終放送から約1年経った今、彼らは新たにそれぞれの道を歩み始めている。

その中でわたしの推しの福地正が所属した円神がお芝居をやるグループになったということを知った日から心のざわめきが止まらなかった。

↑ぷぷちは福地正改め円神では𝗔.𝗿𝗶𝗸(エーリック)というお名前で活動を始めた。どうだ可愛かろう。これで当時26歳なんだぜ。(何目線)

ヘタミュが終わってからもいろんな沼に救われつつも生きてきた中で、また自分の大好きな人達のお芝居がみれるのが本当に嬉しかった反面、アイドルを目指していた子達がお芝居メイン(追記2022/06/13 *2020年12月5日時点では今後の活動は明確化されていなかったためお芝居メインという言い方をしています)のグループに所属して、彼らはどういった気持ちなのかずっとそれが少しだけ気がかりだった。

だけど私が彼らのデビュー公演、円神nonagonを見た感想の第一としては「多幸感」これ一つだった。

不安な気持ちを払拭するかのようなステージだっただけではない。

あれは紛れもなく「アイドル」のステージだった。

ミュージカルでもただのお芝居でもない、彼らの過去とその努力の軌跡が巧妙に紡がれた紛れもない「彼ら自身の物語」だった。

これまでの彼らの道のりや努力がパンクしそうなほど目一杯詰め込まれたステージだと思った。

今までずっと会いたいと思っていた彼らが実際に目の前に立ち、彼ら自身に酷似した性格のキャラクター達が物語のそれぞれの主人公として動き回っている。

この時、初めてヘタミュを見た日、ずっと会いたかったキャラクターが“居る”というのを感じた時の衝撃とすごく近い感覚を覚えた。

これは日プという原作を元にしたいわば2.5次元の舞台なのではと錯覚しかけた。

そしてさらに思い出したのがヘタミュのファイナルライブ、ヘタライとせぶちのコンサートだった。

歴史の史実に沿った物語の中で歌がメインに進行していくヘタライと、まるでミュージカルのような構成のコンサートをするせぶち、これに近いものを感じた。

だけれど、それらの雰囲気を纏いながらも全く新しいものを見たような思いになっている。

舞台中の楽曲たち、詰め込めるだけのありとあらゆるジャンルの曲とダンスが繰り広げられる様には少し驚いたが、彼らはそれらをやってのけた。

本当に驚いた。

相当な努力をしないとあそこまで作り上げることはできないはずだ。

バラード、ポップからロックもあり、そしてfuture baseが個人的にとても効いていたと思うし(推しの雰囲気ともめっちゃ合ってて最高だった)何より一番驚いたのがラップだった。

おそらく一番力を入れたのではとも思った。

他にもちくわきゅうりがとにかくトンチキ曲大好きマンにはめちゃくちゃ刺さったし、この舞台、ジャニオタとヒプマイとヘタミュのオタクに刺さるのでは…?と思ったりもしている。

あくまで個人の感想だけれど…

 

思えばこの一年、コロナがアイドルに及ぼした影響は計り知れないものだったなと自分の記憶を辿っても思い出せて、せぶちちゃん達がイルデ以来ずっと準備してきたであろうドームツアーも中止になってしまい、Perfumeちゃんの東京ドーム公演も私が行った日はなんとか免れたけど、

「今日も明日もここは私たちだけのものなんだよ!!」

とキラキラした顔であ〜ちゃんが言ってくれたその「明日」が突然の政府の要請によりなくなってしまった。

当たり前の約束がいきなり無くなるということを身をもって体験した日常の始まりだった。

 

じょわんちゃんも日プ派生グループもこれからという中で受けた被害は尋常なものではなかったはずだ。

そんな中で気づけば、Perfumeのドームコン以来この約1年は一度も現場に行っていなかった。

ここ2,3年、1年のうち最低でも3回は何かしらの現場に行っていたはずなのに、ぽっかりと空いたスケジュールの隙間が虚しかった。

おそらく円神nonagonは舞台だったからこそ実現できた公演だ。

公演前の電車に乗っている時の緊張感と高揚や一年ぶりに引っ張り出した双眼鏡や紙のチケットがこんなにも尊いものだったのかと実感してうるっと感極まってしまった。

この状況下で実際の公演をやるという決断は、たとえ舞台であっても容易なことではなかったと思う。

徹底した消毒管理、住所の署名、整列のソーシャルディスタンス、チケットもぎりも触れ合いがないように。

演者やファンに心配をかけない対策を考えぬいてくださった運営側の心遣いや対策、工夫があちこちに施されていた。

そこまでして開演してくださった現場に、この1年間の空虚感を埋めるかのようで、胸がいっぱいになってしまった。

 

そして幕が上がり、公演前に配信されていたドキュメンタリーの中でメンバーが何度も何度も繰り返し食らい付いて練習していたテーマ曲を目の前で見たとき、冒頭のはずなのに涙が出てきてしまった。

 

以下ふせったーに載せた内容です。
-----------------------------------

物語の最後にみんなが集まった時、円陣を組んで各々が

「僕たちならできる!」

「みんな愛してる!」

と会場にビリビリと響き渡る声で叫んでいるのを聞いて、ああ、彼らは大丈夫だ、不安になることはないんだと確信して、一気に心の蟠りが消えていく感覚を今も強く覚えている。

安心感と共に鼓動がドクドクと速くなり、これから始まるんだという高揚感を得ながら、彼らが歩んできた道のり、円神として集結し、ここから始まるのだという想いが物語と重なって、演技のシーンのはずなのにみんなの心の声が聞こえてきたように感じてボロボロに泣いてしまった。

オクタゴンを完成させることが目的だったはずの物語に、リーダーであるDW、滝翼くんが加わることでノナゴンとなり、物語は真に完成し、繰り返していた世界から抜け出し始まることができる物語。

忘れかけていたありとあらゆる舞台への想いや記憶がフラッシュバックして、私の胸に突き刺さった。

というのも、天テレ出身で最年少17歳でリーダーをつとめている滝翼くんと同じく、天テレ出身で当時17歳最年少で初の主人公で座長をつとめあげたヘタミュの崚行が重なってしまったからだ。

一人座長としてのプレッシャーで潰れてしまいそうになっていたことがあるとこぼしていた崚行。

計ることのできない不安を隠し舞台に立っていたのだとヘタミュシリーズ終了後に彼のブログを見て知ったこと、名前のついた役割を抱えて、他の仲間を背負って最初の一歩を踏み出すことが、ましてや最年少であるというハンデを抱えた状態がいかに恐ろしいことかを、彼の成長を見守りながらも少しずつ知っていっていた頃を思い出して、当時のヘタミュや、そこで初めて舞台というものを知った自分自身のことも同時に思い出されて感情がブワーーっとかき混ぜられる思いになってしまった。

今まで気づいていなかった自分の存在という大切さ、真の自分自身を知った時、そこから強さに変わることができる。

そんなメッセージを感じる物語の中で、ヘタミュであったり、日プであったり、私自身の過去のことであったり、それら全てが繋がり交わったような感覚になった。

Produce101japanという霞のような夢を掴む舞台に挑んでくれたメンバーのみんな。

全員が味わったであろう挫折を乗り越えて、あきらめないでくれて、円神となることを選び、そこで作り上げたものは本当に最高にキラキラと輝いていたと、とにかく伝えたい想いになった。

歌、ダンス、演技、どれをとっても本当にレベルが高かった。

まだまだ始まったばかりだけれど、ここに一つ感想を書き散らしておこうと思います。

千秋楽までどうか無事に走り抜け、そしてその先も進んでいく姿を見守らせてください。

本当にありがとう。

この舞台は、わたしの人生におけるその時々の一番輝いていた瞬間を呼び覚まさせてくれるような、句点を一つ置いてくれるような作品でした。

おわり

 

おまけ-ヘタミュに救われ人生が変わったオタクのつぶやき↓

------------------------------

 

この記事は2022年06月13日現在、ミューマギを観劇していろんな亡霊感情が爆発してしまい、この時のことを思い出してまとめ直すに至ったものです。

近いうちにミューマギについても書いていきたいなぁ。